「目から鱗」の意味や語源は?ことわざとしての使い方や類語も紹介

「目から鱗」は誰もが知ることわざですが、その語源は意外にも『聖書』であることをご存じですか?その由来を知れば、「目から鱗」には深い意味があることがわかります。

この記事では、「目から鱗」の意味と語源を解説します。あわせて使い方と例文、類語や英語表現も紹介します。

「目から鱗」の意味と由来

「目から鱗」の意味は「急に物事の本質が理解できること」

「目から鱗(めからうろこ)」とは、何かのきっかけで急に物事の実態や本質が理解できるようになるという意味のことわざです。

今まで知らなかった事実などを何かのきっかけで知った時や、価値観が一瞬でひっくり返る情報を得た時などに、「目から鱗だ」と驚きの気持ちを表現します。

「目から鱗」の由来は『聖書』の「サウロの回心」

「目から鱗」の由来は『聖書』にあります。『新約聖書』の中の「使徒言行録・第9章」「サウロの回心」の章に書かれたエピソードの中に「目から鱗のようなものが落ちる」という表現が登場するのです。

イエスを迫害していたサウロは、あるときイエスの「起きて町に入れ。そうすればなすべきことが知らされる」という声を聞きます。そしてサウロが地面から起き上がると、目が見えなくなっていました。

イエスの弟子アナニアがサウロの上に手を置き、「イエスはあなたが元どおり目が見えるようになり、精霊で満たされるようになると私をお遣わしになった」と言うと、サウロの目からたちまち鱗のようなものが落ち、元どおり目が見えるようになりました。

サウロは回心して洗礼を受け、イエスこそが神の子であると人々に福音を伝える伝道師となりました。なお、サウロとはユダヤ名で、のちにパウロと呼ばれるイエスの使徒の一人です。

「目から鱗」の本来の意味は「誤りを悟り回心する」

「サウロの回心」のエピソードは、イエスを疑い迫害していたサウロが、イエスの奇跡に触れることで回心したということが主題の核心となっています。

そのことから、「目から鱗」の言葉はもともと「誤りを悟り回心する」という意味を持ちます。「回心」とは「神に背く罪を認め、神に立ち返る信仰体験」のことです。

なお『聖書』では、イエスが神の子つまり救世主であることの証明として、イエスが行った奇跡のエピソードがしばしば登場します。たとえば、死者を生き返らせたり湖の上を歩くなど。最大の奇跡は、十字架の磔で死んだ後に墓から復活することです。

「サウロの回心」においては、実際に手を置いたのはイエスの弟子でしたが、弟子が奇跡を行うエピソードも『聖書』には多く登場します。

「目から鱗が落ちる」と「目から鱗」は違う?

「目から鱗が落ちる」を略して「目から鱗」になった

「目から鱗」あるいは「目からウロコ」と言ったり表記することが多いですが、本来の表現は「目から鱗が落ちる」です。どちらも意味は同じで、「目から鱗だった」や「目から鱗が落ちました」など文章や会話の前後にあわせて使い分けられています。

なお「目から鱗が取れる」という表現も見受けられますがこれは誤りです。

日本の慣用句と『聖書』の関わり

「目から鱗」は日常生活で頻繁に使われることわざであるため、日本由来の慣用句だと思っている人も多いのではないでしょうか。しかし、「目から鱗」の語源・由来は前に説明したように『聖書』であり、日本の故事などとは関係がありません。

『聖書』を由来として日本語に溶け込んでいることわざには他にも多くあり、「豚に真珠」もその一つです。「豚に真珠」とは『新約聖書』「マタイによる福音書」の中の、「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない」との記述によります。

「目から鱗」ことわざとしての使い方と例文

「目から鱗」は意外な事実にびっくりしたことを表す

今まで思いつかなかったような意外な情報や、価値観が覆されるような驚きの情報を得たときの、「なるほど!それは知らなかった」「なるほど!びっくりだ」といった気持ちを、「目から鱗」の言葉で表現する使い方があります。

例文
  • 身近なところにこんな豊かな自然があったとは、目から鱗だ
  • 本質を突いた同僚の一言に目から鱗の思いだった

「目から鱗の〇〇」は「驚きの〇〇」と同じ意味で使う

商品やサービスを紹介する際に、その目新しさや品質の高さをアピールするために「驚きの〇〇です」と紹介したりします。「目から鱗」も「驚きの〇〇」と同じ意味合いで使われることがあります。

例文
  • 目から鱗の情報をお届けします
  • 目から鱗のアレンジ料理です

「目から鱗」の類語(類義語)とは?

類語は「開眼する」「目が開かれる」「啓発される」

「目から鱗」は今まで考えたこともなかったような事実を知ったときのはっとする感情を表しますが、状況によってはその感情を「開眼する」「目が開かれる」と言い換えることができます。

「娘の一言に目から鱗の思いだった」は「娘の一言に目が開かれる思いだった」「娘の一言に開眼する思いだった」に言い換えられます。

また、「啓発される」も同じ意味の表現です。「啓発」とは、その目を開いて物事を明らかにさせることという意味で使われます。

本来の意味での類語は「光明が訪れる」「光明を得る」

「目から鱗(が落ちる)」の本来の意味である「誤りを悟り回心する」の類語としては、「光明が訪れる」があります。「光明(こうみょう)」とは、「あかるい見通し・希望」という意味で、仏教においては「暗闇を破り、真理の明るみを表す光」のことをいいます。

何かのきっかけで心の迷いや闇が吹っ切れ、明るい希望が見いだせたときなどに、「目から鱗が落ちた」あるいは「光明が訪れた」と表現します。

「目から鱗」の英語表現とは?

「目から鱗」は英語で「The scales fall from one’s eyes.」

「目から鱗」は『聖書』の英語版から日本語に訳された表現です。英語では「The scales fall from one’s eyes.」となり、「目から鱗が落ちる」はその直訳です。

「scale」とは「うろこ」という意味で、「eye」は「目」という意味です。そして、「落ちる」という意味の「fall」で「目から鱗が落ちる」(鱗が目から落ちる)となります。

英語圏における「目から鱗」は、聖書にあるとおり、真実に目覚めるという意味であるため、「be awakened to the truth」とも表現されます。「awaken」とは「目覚めさせる、気付かせる、悟らせる」、「truth」は「真実」という意味です。

「目から鱗」の英語訳を使った例文

  • 突然目から鱗が落ちる思いがした。
    Suddenly the scales fell from my eyes.
    I was suddenly awakened to the truth.
  • この書物を読んで、目から鱗が落ちた。
    Reading this book had the scales fall from my eyes.

まとめ

「目から鱗」は『新約聖書』に記された、イエス・キリストによる奇跡のエピソードが由来となったことわざです。イエスを迫害し目が見えなくなったサウロは、目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになります。イエスが神の子であることに気づいて回心しのちに使徒となったことから、「誤りを悟り回心する」つまり真実に目覚めるという意味があります。日本では「なるほど」や「びっくり」など驚きを表現することわざとして使われています。